私には、忘れられない試合がある。
というか未だに鮮明に覚えている試合がある。
というか鮮明に覚えている2ポイントがある。
それは、もう40年ぐらい前の話になるが、私がまだ小学校3年生のころ、初めて父の試合を見に行った時のことである。私は中学校からソフトテニスを始めたので、そのころはまだソフトテニスについて、わかっていたわけではない。
なぜ父の試合を見に行くことになったのかも覚えていないが、関東大会を見に行ったのだ。
鮮明覚えているポイントは決勝戦でのことなので、決勝戦に進出しているのだから、それまで全試合勝っていたはずで、子供ながらに父の勝利に喜んで応援していたのだろう。
決勝戦も順調に試合が進んでいたのでしょう、父がゲームポイント 3-1で、3-1のマッチポイントを握ったのだ。
ソフトテニスがわかっていないとはいえ、優勢かどうか、試合の流れとか、父の調子とかから、優勝だと思った。
ところがマッチポイントを取られた相手ペアが次のポイントで、今までと違うダブル前衛の陣形になったのである。今でこそダブル前衛という陣形はよく見るし、国際大会や全日本のような大きな大会だと、男子はむしろダブル前衛が主流のように思えるが、当時ダブル前衛はほとんどなかったのではないかと思うし、初めて見たソフトテニスの関東大会レベルの試合でも、ダブル前衛のペアはいなかったから、ダブル前衛になって、
あれ? 何あの陣形?
と思ったことを覚えている。
当時珍しいダブル前衛を見たことが、忘れられない試合、ということではない。これからが忘れられない試合、というか、忘れられない2ポイントの始まりだった。
1. はじめに にも書いているが父は特別速いボールを打つなど、すごいボールを打つようなタイプではない。コントロールがよく、試合の相手をしてもらうと「ここに打つのか」というところにピンポイントにコントロールよく打ってきて、それも前衛のサイドを抜くとかではなく、後衛の方に打つのだが、なんとも打ち返しづらいところを突いてくる、というタイプなのだが、マッチポイントを握って、相手ペアがダブル前衛になったときは、前に出てきた後衛の方に速いボールでぶつけにいったのである。
一本で決まらず返ってきたボールをまた前に出てきている後衛にぶつける、というのを何度か続けるのだが、相手のボレーが決まってポイントを取られてしまった。
その時、それまでの試合運びを見ていたからだと思うのだが、あそこは二人とも前にいるのだから、どちらでもいいから前衛オーバーを打てば決まりのように思えた。父ほどのコントロールがあるなら前衛オーバーのロブをスマッシュされるようなミスをするようにも思えなかった。
一本返されて 3-2。それでもまだマッチポイントだったのだが、相手ペアはまたダブル前衛の陣形で、父もまた前に出てきた後衛にぶつけにいって、同じようなパターンでポイントを取られてジュースになってしまった。
そのあとは相手ペアは普通の陣形に戻したのだが、流れが相手にいってしまったという感じで、逆転負けしてしまったのだ。
小学生でソフトテニスをよく知らない私だったが、あのマッチポイント2本のうちのどこかで前衛オーバーのログを打てば勝てたのに、と強く思ったものだった。
父も勝てば関東大会初優勝でマッチポイントまでいった状態だったからか、欲がでてしまったのかもしれない。とにかく父の性格やそれまでの試合運びからすると、父らしくない、2ポイントだった。
試合が終わって戻ってきたとき、勝てたのにという思いが強く、悔しくて悔しくて、なにもわかっていない小学生くせに父に、
逆転負けなんてダメじゃない。3-1の3-1のマッチポイントが2本もあって、ダブル前衛の相手にロブでかわせば勝ちだっただろうに、なぜあそこで後衛にぶつけにいったの?
というようなことを生意気にも言ったことを覚えている。それに対して父が何と答えたか覚えてはいないのだが、悔しい表情ではなく、笑顔ではないのでしょうが、やり切った感の表情というのでしょうか、すがすがしい表情だったのを覚えている。