私の父は、ソフトテニスのある程度のプレーヤーだった。詳しくは後述するとして、その父がよく言っていたことが、
「どうせやるなら強くなって試合に勝つ方がおもしろい。」
というような事だった。
当たり前といえば当たり前だが、この表現には微妙な個所があるという事にお気づきだろうか。
「うまくなる」ではなく、「強くなる」である。
そう、うまくなるではなく、強くなるである。うまいだけでは試合には勝てない。決してうまいとは言えないかもしれないが、強い場合もある。それが心のある人間がやる試合だと思う。
私の父も見た目や乱打をやった感じはうまいという印象はなかった。しかし試合になると 強い という印象が強烈に残っている。
このうまいと強いの差はどこからくるのか。これからその辺を書いてみようと思う。